HIZUKI Minami's Story

或る少女の物語

―――――その日まで。運命の、宿命の、必然の其の時まで、私は普通に人間として暮らしてきた。

そこそこに格式がある家。父はいなく、母親に育てられ。

成績はそれなりに、まんべんなく。

身体能力は控えめで、何故か男がひっきりなしに寄ってくる。

まぁ確かに夢見がちだったり、とっつきにくいところがあったり、大自然の中に囲まれてるほうが心が落ち着いたりと、人から離れがちだったが、「日常生活」を送れないほどではなかった。

私は大学にあがって、いつに無く親しい友人ができた。その子がいなかったら、それこそサバンナにでも旅に出ていただろう。それくらい、自分の状況に対し窮屈な思いを抱いていた。どこか今とは違う場所へ行きたかった。自分にあった居場所をずっと探していた。

広い大草原の夢をみて、そこへ行きたいと願っていた。

その子と一緒のサークルの帰り。いつものようにいつもの道を帰ろうとしたとき、「それ」は起こった。終わりで始まりというステレオタイプ、どこでも見かける陳腐な出来事が。

私の名前は緋月みなみ、その子の名前は霜鳥綺子。

――――これは、或る物語の序章である。

いつものように二人で歩いて帰る。他愛ないおしゃべり。明日の予習の話。私にとっては一時の安らぎ。窮屈な毎日を忘れる時。

そのときガラの悪い連中が二人の横を通り過ぎた。なんとなく二人ともが早歩きになる。避けるように。逃げるように。

男達は二人と完全にすれ違うと、振り返ってお互い目で合図をした。

(いくぞ)

(よし)

二人の男がそれぞれの後ろにつき、いきなり羽交い絞めにした。

「んんっ」

「んむぅっ」

後ろから口を塞がれた二人はすばやく足を抱え上げられ、パニック状態のまま押し込まれるようにすぐ横の空きテナントへ運ばれた。

そこにも数人の男がいて、あるいは期待の目で二人を凝視していた。

計画的に行われたそれがにわかに成功したことに歓喜していた。

自分達が犯罪を行っていることに、その状況に酔っていた。

羽交い絞めにしているのをそのままに下ろし、服を脱がしにかかる手、手、手。あるいは熱病に浮かされたように、強迫観念に突き動かされているように。上着をはだけさせ、スカートを脱がし、下着を剥ぎ取り、乱暴に愛撫をし、コトに及ぼうとしていた。

みなみはふと隣を見た。綺子が弄られているところだった。

彼女はもうろくな抵抗をせず、ただ状況に流されていた。

みなみは、ぼんやりと思った。

――――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいやだイヤダ。こんなことをしようとする男達がいやだ。それに抵抗できない自分もいやだ。

何より、綺子が、守れないのが、守れなかったのが。

それだけは。大切な人が、嫌だ。

嫌だ。

ゥオオオォォォォォォーーーーーーン。

その咆哮は狼のものだった。大音声は部屋の中でびりびりと反響し、全員の動きを止めた。

ぼんやりとした思考は流れるままに強い思いに変わり、〈業怒〉を呼び起こし、ワーウルフとしての覚醒を促したのだ。

瞬間変身を行った黒いそれは、その勢いのまま、手足にまとわりついていた男達を吹き飛ばし立ち上がった。

ゆらりとそびえる体躯。三メートルの身長は、あまりにも現実離れしていた。恐慌状態。男達は呻いたり喚いたり。襲い掛かるものもいた。業怒にまかせて暴れまわる人狼による最初の犠牲者。

ぶうん、と風きり音を鳴らして振るわれた腕は鍵爪をもって目の前の人間をとりあえず両断した。殴りかかるもいたがその筋肉によりはじかれる。しなやかな体つきと黒い毛並みを持つそいつは見ようによってはエジプトの犬頭神に見えないことも無かった。ただ殺戮をもたらすだけではあったが。

一方的な虐殺は未だ続く。ひとり、ふたりと、鍵爪を受けて、血と肉、臓物を撒き散らす。びしゃり、びしゃりと、水音が響く。

筋肉がはじけ脂肪がころがり肝臓が裂け脊椎がねじれ脳漿がこぼれ骨がくだけ血が流れ肺が破れ心臓が破裂眼球は飛び散り人間が肉塊に変わってゆく。

其れは黒い旋風。引き裂き切り裂き、男達を、十二あった人型を「消した」

最後の男を縊り殺し握りつぶし踏み潰し、狼は勝鬨の咆哮を上げる。

黒い毛並みはしっとりと、べっとりと濡れ、ぽたり、ぽたりと雫を落としていた。

みなみはふと気がついて綺子のほうを見た。狂乱していた彼女は後ずさって背を壁に付け、ただ首を横に振り拒絶するだけのなにかと化していた。みなみは目を細めそれを見つめる。そして諦観したように外へ。その場所から去った。

――――――――この後みなみは今まで放浪していた父親に会い、「そちら側の世界」の話を伝えられる。自らをガルゥと呼ぶワーウルフたちのこと、《黙示録の刻》のこと、ワームと呼ばれる敵性存在のことなど。彼女は緋月家の母に別れを告げ、父の言伝てのとおりにアメリカへ旅立つ。

その後こそが彼女の綴る物語。ゆえにこれは他愛ない序章。

数日後、綺子のもとに手紙が届く。いなくなった友人の筆跡で一言、

「ごめん」と書かれた手紙が。