ZENIGATA's story

銭方生活:最初の変身

1997年4月18日 午後16時45分 警察庁・四階廊下

その日も私は、書類整理に追われていた。ここ二、三ヶ月の間というものは、休日出勤は当たり前の生活になってきてしまっている。しかも、ここ数日に至っては、泊りがけだ。イライラする。広域指定暴力団の本部である、成田の某組への強制捜査の後始末である。もっとも、その種をまいたのは私自身であって、今宮さんは慎重派だった。田崎さんは、数少ない私の理解者であるから、会議の席上で賛成の意を表明してくれたのだった。もちろん、今宮さんはいい顔をするはずがなく、直接の上司は彼であることもあって、こうして書類と格闘しなければならなくなっているのだ。いまいましい上司だ。右手の書類を、左手に持ちかえる。そろそろ退庁しようかという人事課の職員とすれ違うと、敬礼をしてくる。どんなに不機嫌でも、敬礼は返さなければならない。

今の公安部は、正直言って、非常に危険である。暴力団に対する強硬姿勢が強まる中で、家宅捜索に乗り出す回数は、数年前に比べて急激に増えた。95年に国松さんが狙撃を受けて以来、公安課は拳銃を常時装填・常時装備という命令が出された。いまだにそれは解除されていない。私は懐を叩いて、そこに銃があることを確認する。制式拳銃のS&Wである。田崎さんは、どういう理由かは知らないが、ワルサーP.38を装備している。「私物だけど、許可は取ってるから」と笑いながら言っていたが……謎の多い人だ。

同日、午後17時56分 警察庁公安局局長室

「……よし、OK。ご苦労さん」

田崎部長が、そう言って判を押す。彼のデスクは、いつも決裁待ちの書類で埋め尽くされている。個室の外には、苦情の持込や、挨拶回りのためだけに待っている関係省庁の職員が待っている。夕方だけあって、随分と数は少ないようである。

「キミ、今日の晩は暇か?」

「は? はぁ、暇ですが……」

「ちょっと一杯やらんかね。家内が、ちょうど実家に帰省しているんだ」

私は困惑した。田崎さんが誰かを飲みに誘うことは、知る限り、ない。宴会でさえも、義理で参加はするが、ちょっとすると帰ってしまう。そんな人から飲みに誘われるなんて……一体、なんなのだろう。

「構いませんけれども」

「じゃあ、適当に終わったら声を掛けにゆくから」

「分かりました」

「あ、そうそう。今日だけは銃は外しとけ」

何かしらの違和感を感じる。けれども、なんだか分からないままに田崎部長の言葉に頷くと、私は敬礼して部屋を出た。余計な質問をして、田崎さんの邪魔をするのは本意ではない。飲んでいる間に、それくらいはきっと聞けるだろう。

1997年4月19日 午前0時9分 「たきのや」

のれんだということで、私たち二人は店を出た。終電にはまだ間が在るし、最悪の場合でも、田崎さんの家に泊まればよい。というか、最初からそのつもりだった。でなければ、千代田区の私の家から、こんな離れたところまで来る理由はない。

田崎さんは、飲んでいる間中、ほとんど黙っていた。今日のことについて尋ねようかとも思ったが、流石に聞ける雰囲気ではなかった。街灯が、切れ掛かっているのか、チカチカと点滅している。月も出ていない。薄暗い道だ。

「今日はウチ、泊まってけや」

「飲みなおし……ですか?」

黙って頷くと、ついて来い、とだけ言って歩き始めた。田崎さんの家は、住宅街のはずれにある一戸建てだ。周りは工場と、海である。潮の香りが強く、夜は静かなところである。昔一度だけ、用事があって出向いたことがあるが、寂しい所だ。不況のあおりもあって、多くの工場は、閉鎖してしまっている。

と、田崎さんが肩を押さえて蹲った。見ると、血が流れている。ビィン、という低い音がした。今度は、左肩から血が流れ落ちる。(銃か!)田崎さんは蒼白な顔をして、壁に寄りかかる。クソっ。懐に手を入れ、銃を取り出そうとした……が、そこにあるはずの銃はなかった。

「田崎さん、借ります!」

彼の懐に手を突っ込むと、ワルサーを引き抜いた。その瞬間、ワルサーに、私は非常に何か形容しがたい繋がりを感じた。(これならいける!)そんな自信が沸きあがってくる。近くの電柱で遮蔽を取りながら、あたりを探す。薄暗いビルの二階に、一瞬、光が見えた。バン、と鈍い音がして、電柱のコンクリートが削れる。そのあたりに狙いをつけて、二発銃弾を発射する。ドサリ、という音がして、黒服の男が落ちてきた。弾丸は過たず、二発とも命中していた。バッジは持っていないが、恐らくは暴力団関係の人間だろう。

「危ない!」

田崎さんが叫んだその瞬間、胸のあたりに、熱い何かがこみ上げた。(しまった、二人目がいたのか!)迂闊だった。田崎さんは、左右の両肩を撃たれていたじゃないか!呼吸ができない。膝が、私の意志とは無関係に、地面に密着する。続いて、上体が前のめりになって行く。(俺は、死ぬんだ……)今宮の顔が浮かぶ。殉職させてしまった大木戸警部補、坂牧巡査長らの顔が、頭を巡る。頭に、何かが押し付けられる。こんなところで死んでしまうのが、ただ、ただ悔しかった。法の執行者が、暴力によって抹殺されてしまうことが。

◇ ◆ ◇

気がつくと、私は男の死体を前にして立っていた。服は破け、銃は全弾撃ち尽くしたのか、心なしか軽くなっていた。自分のようであって自分ではない何かが、それをしたのは、何となく覚えていた。

「おめでとう。意図せざる仕掛けだったが、結果的にはオーライ、なのかね」

蒼白な顔の田崎がそこに立って言った。肩は止血をしているようだが、大分重傷のようだ。

私が服を着なおす間に、彼は人狼というものについて話し始めた。私が人狼であること、ワームという敵がいること、ガイアというものを護らねばならぬこと、など。そんなものがいるとは思わなかったし、田崎さんが、あまつさえ自分自身がそれだとは思わなかったが、感覚的な部分ではある程度納得しながら聞き入っていた。

「で、これは霊宝とかってヤツですか」

「そう……キミもこの力を引き出せるようだが、本当の力はこんなものじゃないらしい」

「ま、でも今のところはこれで十分な気もしますけどね」

「いつか、もっと力を引き出せるはずさ。なにせ、それは次元が使っていたやつだからな」

次元って、誰です?と聞くと、伝説的なガンマンさ、と答えた。田崎さんは、公衆電話に向かった。警察に電話しなけりゃな、あと救急車も、と言って。それが、この世の別れだった。

刺客には、三人目がいたのだった。

後日談

銃声を聞きつけた、近くをパトロール中の警官によって、私たちは病院へと輸送された。田崎公安部部長は、犯人と近かったらしく、頭部にモロに喰らってしまった。そして、私が目を覚ました時には、すでにこの世の人ではなかった。散弾銃による頭部盲管銃創が、死因だと聞いた。私も全身に弾丸を浴びて、出血多量で生死の境目をさまよったらしい。医者は、私が生きていることを奇跡的だと言った。

ワルサーは、そのまま私の手元にとどまることとなった。田崎というかけがえのない理解ある上司、そして人狼の先輩との、両方を失うという代償によって。一ヶ月ほど、私は入院することとなった。肉体的な傷は癒えたが、精神的な傷が治らないままであった。

今宮課長も流石に同情したのか、当時は閑職であった、ICPOのテロ関係情報の連絡員として、アメリカに派遣してくれたのだった。しかし、このありがたい処遇が、後に、人狼社会にコミットすることを積極的に拒否し、あまつさえ否定の対象とせしめることになるのである。