ZENIGATA's story

銭方生活:恋愛編(前)

1997年6月30日午後1時34分 ニューヨーク市内

事件の傷の癒えぬまま、ICPO情報局付連絡員として、私は派遣されたのだった。前任は、昭和56年組の朝倉警視。外事関係のプロパーで、警視庁のときに上司だったことがある。その縁もあってか、空港まで迎えに来てくれた上、市内案内から住まいの手配までしてくれた。うるさいのは嫌なので、防音性の高い家を借りることにする。市内の地理を職務上知っておいて損はないから、とのことで大人しく連れまわされるが、時差ぼけの頭には到底入りようがない。

同日 午後6時30分 局内食堂

歓迎と退任祝いを兼ねたパーティーが開かれた。ヒューレット局長は、席上で、その後も忘れることの出来ない、一つのスピーチをした。

「われわれは、あらゆる人種を越えて、すべての国境を越えて、人類にとって最も偉大な価値を守るためにここに集っている。それは、不当な抑圧を決して許すことのない、完全な自由である。何者によっても否定されることのできない平等である。すべての不当な争いを断乎として拒否する、平和である。

君たちは、その最前線に立つ、最も偉大な兵士となる。それは、すべての人々の願いであり、そして、愛する人々を守るための戦いである。危急の命を受けたとき、信念を心に宿すならば、燦然と輝く女神は、必ず君たちの目の前に救いの手を差し伸べる。たとえ凶弾が咆えたけろうとも、神の御意志は、それを許すことはない。恐れてはならない。

私は、世界の一市民として、切に願う。どうか、日本の友人たちよ、それが孤独な戦いになったとしても、挫けないでほしい。その至上の価値を守るという信念によって創られた友情は、どこにいようとも、決して失われることはない。われわれは、常に共にあるのだ」

ありきたりなスピーチだったかもしれない。けれども、私は偉大な価値を守るため、人間の尊厳を守るため、その命を捧げねばならないと思った。私は、人狼と呼ばれるバケモノであるという。けれども、それは決して、ただちに人間であることを否定するものではない。人類にとっての至上の価値を守ろうとする限り、それは人であることの証なのだ。

私は人狼である前に、一人の人間であり、一つの心である。田崎さんも、最後の最後まで、人であり続けようとした。変身すれば、命は助かったのかも知れない。けれど、彼は人の社会の中にバケモノを認めようとはしなかった。

田崎さんは言っていた。われわれ公安職にある者は、常に命を失う覚悟で職務に臨んでいる。しかし、それは命を軽々しく投げ出してよいということではない。もしも殉職することがあれば、嘆き悲しむ家族や友人、恋人がいるはずだ。私もまた、その中の一人である。だから、生きて、多くの人を危険や暴力から救うこと。それが君たちに課せられた、生涯で唯一の、最も尊い使命なのである、と。

尊敬すべき先輩に、私は続きたい。最後の最後まで、一人の人間として、一人の心として。その価値を脅かす、すべてのものから、ありとあらゆる人を救いたい。その権利がある。可能にする力がある。だから、私は生涯かけてこの任務を果たすのだ。

知らず知らずのうちに、私の頬を涙が流れていた。

同年7月1日 午前9時40分 空港

朝倉警視は日本へと旅立っていった。カウンター・パートである情報局のヒューレット局長も、空港へと見送りに来た。形式的な挨拶と握手だけを済ませると、朝倉さんはさっさと機内へ消えていった。

もう、私の心の中からは、あの事件の曇りは全く消え去っていた。

マンハッタンの南、リバティー島にそびえ立つ自由の女神。彼女の持つ灯りは、まさに私の生きるべき道を照らし出し、そして見守り続けるかのように見えた。