田崎さんの百ヶ日。御遺族の方に、お悔やみの電報を打つ。自宅で冥福を祈る。
職務にばかり没頭できるのであれば、今ごろ私は大蔵官僚になっていたわけで……。連絡員は閑職で、したがって毎日が有給休暇のようなもの。射撃訓練は欠かさなかったし、法律や捜査上の技術習得も積極的に行ってはいた。が、それはそれ。毎日のように開かれる同僚のホーム・パーティーに、日本人であるということもあってか、たびたび招かれることが多い。
肝臓の調子が悪い。酒を少し控えろ。(自戒)
局長宅で開かれたホーム・パーティーに、陪席する機会を得る。彼の家は、住宅街の中でも、比較的大きい。かなり図抜けた美貌を持つ少女を見る。日本人のような顔立ち。滑らかな白い肌。ちょっとトキメく。(いい年ぶっこいて)
声をかけることもなく、パーティーは終了。特筆すべきは、酔っ払った局長と次長が、足を滑らせてプールに落ち、頭を打って病院に運ばれたこと。二人が気絶して水に浮かぶさまは、むかし東京湾で見たどざえもんのようで、少しく笑いを誘う。
ICPOオフィスビルの喫茶店の中で彼女に会った。ちょうど昼時ということもあって、かなり混雑しており、相席せざるを得ない状況。たまたま、その席には彼女がいた。
ねぇ、ヒューレット局長のパーティーでお会いしましたよね、お名前は?と話し掛けると、少し困惑した表情で彼女は、タラ・ミッチェル、と名乗った。法律の話をすると、彼女は積極的に乗ってきたのは意外だった。楽しい一時を過ごし、彼女と笑顔で別れた。それが昼休みが終わる前であれば、この上なくいい日だったのだが……。
終戦記念日。彼女と会う。次の約束を取り付ける。恋人がいなかったのが不思議。高嶺の花なのだろうか。ちょっとした優越感。お嬢学に通っているせいか。
濱田さんから返信。ボブ・デュランのレコードは、喜んでもらえたらしい。昔が懐かしいとの事。探した甲斐があった。
イスラエルから新局員。お互いに情報交換をする。連合赤軍のメンバーの所在をつかむ。
夏カゼ。アメリカの冷房は効きすぎる。
今宮さんから電話。朝倉さんが外務省に転籍したとのこと。連合赤軍の情報を伝える。勤務評定がかなり上がる。今宮さんにしては珍しい喜び具合。当然といえば当然か。
セントラル・パークで、乞食から話し掛けられる。この近辺で最も大きなケルンがある場所でもあり、恐らくはボーン・ノーアの人間だろう。出国前に成田三里塚で通過儀礼は受けてきたので、特に出向くこともなく、向こうも構ってこなかったので放置しておいたから、憶測でしか物は語れないが……。濱田さんが亡くなられたという。
品の良い御老人で、三里塚・柴山連合の一員として、成田空港建設反対闘争に最後まで関わった人だ。私も、入庁して3年目に、第一機動隊副隊長として警備に当ったことがある。そのときに、クレームを付けに来られたのが、最初の出会いだった。
三里塚ケルンは、成田空港ができて以来、その影をひそめてしまっていた。残っていたのは彼だけで、その彼も70余歳の寿命を数え、末期癌で病床にあった。向こうの社会に縛られたくないとの理由から、人数の少ない場所を選んだ。紹介されて行き、出会ったときにはお互いにびっくりしたのを、よく覚えている。買っていったレコードを見て、喜んでくれたのが印象的だった。一昨年に死んだオヤジの顔がフッラシュバックして、思わず泣きそうになった。
今日聞いたところによると、8月末に亡くなったらしい。60年代末には一大勢力を誇った成田三里塚ケルンは、事実上からも完全にその姿を消してしまったことになる。濱田さんは、最後まで人間として、闘いを続けた。尊敬の念を込めつつ、御冥福をお祈り申し上げる。
週に一度は彼女とデート。日記に書くのは恥ずかしい。dateでなく、日本語で書くと、どうも恥ずかしい。顔がにやける。これは恋?
やっぱり文字にすると恥ずかしい。
デート。私はとうとう学生時代以来(つまり約20年ぶり)で、告白。もちろん、彼女が高校生であることは知っていたし、局長の親類であることも聞かされていた。中年の恋というものは恐ろしい。ある種、そういった社会的条件に盲目になっていた部分があったのは間違いない。でも、好きなものは仕方がない。うーん……
約一時間後。二人で、蒼い顔をしながら、地下鉄のレールの上を歩く。停電と車両火災が、ほぼ同時に発生。学校帰りで、彼女はセーラー服。トンネルだけに熱気がこもり、煙が出るので窒息しそうになる。熱さに耐えながら駅に近づくと、いきなり放水を浴びる。消防士が慌てて謝罪する。二人、あまりの寒さに抱き合う。まるでコメディ。
彼女を愛している。願わくば、生涯の伴侶となれますように。
朝から研究会議。オウム事件の一連についての分析を報告。潜在的なテロの不可避性に対して、どこまで最小限に被害を食い止められるか。民主主義的法治国家に内在する限界である。
ホテルへ行く。彼女はハジメテだった。結婚の口約束をする。実現してほしい。
初めてホールを回る。+34で終了。筋がよいと誉められたが、自分では不満足。OBが4回しかなかったのは、ちょっと嬉しい。局長は、+10。ビールをおごる羽目になったのには、少々閉口する。久しぶりに運動をして疲れた。
クリスマス・デート。制服のまま来たのに驚く。プレゼントにネックレス。
年内の残務整理に追われる。今週は局内に泊り込み。
夜に解放される。明日も通常勤務。待望の日本酒が到着。酒の肴がないのが残念。
一日中、寝て過ごす。三日までは休み。蕎麦がないので、カップヌードルで済ませる。生涯で最も貧困な大晦日の食生活。忙しくとも、日本にいた方が良かった気がする。
元旦出勤。精神論で勤務させるとは、ちょっと面白い。どこの帝国陸軍か、と突っ込むと、JAPANだと胸を張って答えたのには笑った。「月月火水木金金」を揮毫する。局長室に貼られる。うっかりしたことをしたと思ったが、誰もその意味を理解していない。漢字なら何でもいいようだ。「反米愛国」と書いたら面白かったかもしれない。
彼女に新年の御挨拶。姫始。制服で、ちょっとドキドキする。私も歳をとったものだ。
ワーカホリック。閑職なんて言ったのは、どこの誰だ。
局長から指令。テロ組織の活動が活発化しているとのことで、情報収集強化月間。日本の場合、暴力団と提携して潜伏しているケースが多い。公安職の責任は重い。
センター試験会場に機動隊配備を進言。却下される。配備警官数の増員で決着。まぁ、当然か。今宮さんに経過報告。人事畑出身者には、公安は勤まらないと痛感する。
杞憂に終わる。精神病患者19名。9名、全員起訴猶予。うち8名が東大会場。受験戦争という言葉は、死語になったと思っていたが。
彼女が風邪を引く。有給を使って、看病する。親が帰る前に、家を出る。
母の十三回忌。日本にいないのが申し訳ない。
デート。チョコをもらう。試験期間中で、あまり会えないのが寂しい。来週末まで我慢。
局別対抗射撃大会。ワルサーの調子は頗る良いが、今ひとつ何かが欠けている。真の潜在能力があると言った、田崎の言葉が思い出される。準優勝。管理局のダグラスが優勝。テキサス州警察に長らく在籍していたと聞いて、納得する。
お祝いに、ボーンステーキ。脂っこいのを我慢して、完食。アメリカは量が多すぎる。
帰国準備で書類整理に入る。形式が違うのにはかなり困った。
親が旅行。寝物語に、日本へ必ず留学すると約束。婚約指輪をあげたら喜ぶだろうか?
後任の榎木警視が到着。町を案内して回る。アメリカン・イングリッシュになおすように注意をする。朝倉さんは、オーストラリアに留学していたせいか、訛りが酷かったのを思い出す。外務省の立木さんは、インド訛りが酷くて、嘆いていたっけ。
帰国が間近になってきた。私は、バレンタインデーのお返しを持って、タラを待つ。懐には、小箱。高校生の彼女を日本に連れ帰るわけには行かない。せめて、婚約の形だけでも……と思って用意する。乙女の純潔を奪い、幾度となく情事を重ねた身としては、愛(と責任)を示さなくてはならないという、まことに古くさい日本男児精神。
彼女がどんな反応をするのかを考えながら待ったが、彼女は来ない。一時間、二時間……と時は過ぎる。家に電話をしてみたが、繋がらない。携帯をもつのは、お互いの秘密が増えるから、という理由で持っていなかった。私も、業務用の携帯しか持っていない。連絡がつけようがない。
終電まで待つ。現れず。何を考えているのか。腹立たしさと不安で、全く眠れそうにない。
タラに呼び出される。安心したのと怒り半分とで、待ち合わせ場所へゆく。
「ねぇ……ガルゥはガルゥ同士じゃ……ダメなんだって」
こんな運命は受け入れたくない。
説得をする。だめだった。
今日もダメ。
×
不通
―
彼女と会う。致命的な提案。
熟慮。選択肢は一つだけ。
彼女と会う。止むを得ず、条件付受諾。終了。
帰任祝賀会。今宮さんから電話。登庁は4/2。局長より祝いの品。連絡を待つ。徹夜。やはり来ず。
彼女は、私なんかよりも、ずっと楽に人狼社会の掟を受け入れてしまった。今までのことは、お互いになかったことにしましょう。そう言われてしまっては、どうしようもない。私は、他の誰とも今後付き合わないでほしい、とだけ言った。彼女は黙って頷き、神に誓ってくれた。それで二人の関係は終わった。
母親との些細な口喧嘩による変身。それは、どうやっても変えがたい事実であった。別に、私は彼女が人狼であることを恨みはしない。けれども、人狼であるがために不自由を受けているという事実。ただ、彼らの掟が憎かった。
飛行機が旋回しながら上昇して行く中で、朝日を受けて輝く自由の女神像が見え、ヒューレット局長の言葉が思い起された。
「われわれは、あらゆる人種を越えて、すべての国境を越えて、人類にとって最も偉大な価値を守るためにここに集っている。それは、不当な抑圧を決して許すことのない、完全な自由である。何者によっても否定されることのできない平等である。すべての不当な争いを断乎として拒否する、平和である」
人狼社会の掟に対して、そして慣習に対して、さらにはそこに対する協力に対して、断乎たる拒否の決意を固め、思い出を閉じる。
機体が少しだけ揺れ、懐の小箱がカサリ、と音を立てる。雲を突き抜けると、そこにはただ一面に青い空と、平らな雲海だけが広がっていた。
それを眺めつつ、私は、二度と開くことのないであろう日記帳の鍵を閉めた。