Zenigata's Session Report

繋がる遠い絆 ―別の時代の同じ人―

―B.C.32、秋 ガリアの森の奥深く

私は従者を二人従えて、かりそめの仲間と共に、ガリアの森の中に居た。先陣のギズルフ、そしてクライブ剣術家のアルンフリードは、私の醸す香水の匂いに耐えられないと見えて(そして事実彼らはそれを幾たびも言明して、私を辟易させたのであるが)少し離れたところに座っている。

対して、私の心許せる従者のディアポラスとデュディナムは、どこから探してきたのか、腰掛けるに程良い丸太を持ってきた後は、すぐ傍らに立ったままであった。ディアポラスの手にはわが家の紋章とローマの象徴が縫い付けられた旗を持ち、誇らしげに夜の風にそれをなびかせている。デュディナムは私の欠かすことの出来ない荷物、すなわちワインや香水などといったものを一切預かってくれている。荷物こそ地の上に置いてはいるが、その下には木の皮を幾重かに重ねて夜露に濡れぬように気を配っていて、そして彼もまた誰かがそれに手をかけぬよう(つまり、あの二人に警戒していたのであろう)視線をあちこちに巡らせている。

そろそろ雪も近いのではないかと思わせるような風が、何度も強く吹きつけ、火の粉は幾つとなく舞った。二人は少し体を震わせる。梟が寒そうに一声だけ「ホゥ」と鳴く。ふと閃いた私は、デュディナムにハープを取り出すように命じ、そして即興でこう語った。

ジュピターは頭上におわして この目の届くすべてから闇を奪う

ロムルスの子らはそれを仰ぐ 風の音色はハデスの元へも届かん

劣れども我は汝に歌を捧げん されば手を止め耳をお貸し下さい

金色の髪を持つ蛮族の国にて マースの加護がわれらにあるよう

祈りを梟が御許に伝えるゆえ どうかしばしその音を止め給えよ

「蛮族」という件でギズルフがムッとした顔をしたが、しかし彼もそうしたローマ人の感覚というものを多少なりとも理解しているらしく、突っかかってくる気はないようである。それに私としてもこの程度の歌は、非常に穏健なものであると思っている。私が歌いたいと思っている「ローマ第二師団の歌」、通称「復讐の歌」は、彼が聞いたならば(もっとも、我々の喋る言葉を理解できるのはケルンでも彼だけであったが)、きっとその内なる業度を爆発させていたに違いない。

「素晴らしいです、ディニアケス様」

「ありがとう、ディアポラス」

「風が……止みましたね」

顔を見合わせて破顔する。神々が歌を聞き届けてくれただ、と考えるとつい嬉しくなってしまうのは人情というものなのだろう。たとえ全てが精霊の働きであると知っているとしても、だ。

「歌ァ歌うのはいいんだけんどもよォ、見張りさァせにゃあいかんさ」

田舎訛りのひどいラテン語でギズルフが言う。やはり、彼らにはこの洗練された言葉を使うのは難しいのだろうか? それとも、単に彼の育ちが悪いせいなのか。

「そうだな、順番を決めたいが……アルファは何と言っているんだ?」

「君が先にやるようにと言っていらっしゃるが」

訂正しよう。変なところで急に丁寧な物言いになるから、単に理解不足であるだけなのかもしれない。正しい言葉を使わないと、その存在も濁ってくるものだから、今度きちんと教え直した方がいいのかもしれない。それに、もしもローマの捕虜になったときに、同じガルゥとして、余計に馬鹿にされるのがかわいそうだから。

「了解した。じゃあ、ディアポラス、デュディナム、もう休んでいいぞ。ご苦労だった」

「はい。では、お先に休ませていただきます」

そういうと彼らと彼らの二人と二匹は、横になり、すぐに寝息を立て始めた。

ケルン近くにある彼らのケルンを離れて約半月になる。ワームの眷族に奪われたという霊宝を取り戻さんがため、身柄を拘束されていた父の解放を引き換え条件に、このパックに参加することになったわけだ。彼ら二人だけだったなのではなく、残り四人いて、彼らは偵察と近隣諸ケルンへの挨拶を兼ねて出払っている。もっとも、彼らが居ても、今現在の私にはまったく関係のないことであった。(彼らは一言もラテン語を話すことが出来ないのだ!)

私の中のゼニカタデスという存在は、それをむしろありがたく思っていた。同じガルゥであるという以前の問題に、父を解放したとはいえ、蛮族であるという点でどうしても信用ができなかったからである。軍人であるディニアケスさえも、そこに策略があることを否定できずにいた。それゆえ、私は彼らと寝泊りするようになってから一晩さえも安眠が出来たことはない。幸いにして従者二人は安心して眠れているようではあるが。

「寝ていいぞォ、ゼニアケシィ」

「デ・ィ・ニ・ア・ケ・ス、だ。でも、少し早いぞ。君、あまり寝ていないだろう?」

「おめェ、あんまり疲れが取れてねェみてだかんな。代わってやるゥさ」

「……そうか。済まないな、気を使わせてしまって」

「気にすんなや。おんなしガルゥじゃねぇかよ。しかも、パック仲間だろがョ」

軽く拳を合わせると、不思議な嬉しさがこみ上げてくる。ガルゥである以上、彼らは信頼に値するし、またそうしなければならない。

(では、なぜ……あんな風にいつも感じているのだろうか?)

目を閉じて、それだけに意識を集中させる。その理由は、とっくに分かっているが、しかしいつも考えずにはいられない問題。ローマの市民としての義務が、もしもガルゥとしての義務と衝突したならば?という、おそらく常に起こりうる問題。それは、都市に住み、高度な文化を享受し、人間社会において賞賛を受けることの多い高い地位にあることの多いわが部族にしかないものだ。

そしてお決まりのように、思い出すのは昔のこと、父のこと、カエサル様のこと、そして兄同然のオクタウィアヌスのこと。

――初めて父に会ったときのこと

「まだ起きていたのか。眠そうな顔をして」

「貴方に会いたくて、この子はずっと起きていたんですよ」

初めて会う、「おとうさん」という人。お母さんの後ろに隠れて、覗き見る。剣を外し、どっかりと椅子に腰掛けた、大きな人。

「いま、いくつになったのだ?」

「あらあら。ゼニカタデス、どうしたの、目に涙を浮かべて」

――父が帰らなかった日のこと

私はその輝かしい列の中に、父の姿を探しました。母に待っているようにいわれたのですが、そんなことに耳を貸す余裕などありませんでした。もう4歳なのですから、一人で出歩いても大丈夫なのです。

記憶の中の父は銀にも見違えるような鎧に、わが家の旗を掲げて、栗色の馬に跨って出陣していきました。カエサル様を先頭に粛々と行進するローマの兵士たちは、私の憧れであり、遠い未来にその列に加わる姿を想像しては胸が高鳴るのです。ナルキレイテスという、父にして、高潔な智将として名高きローマの市民は、それゆえ、恐らくは後方に控えているはずです。でも、一刻も早く見たいのです!

「ゼニカタデス様、探しましたよ!」

「ディアポラスではないか、デュディナムも」

「ひどいですよ、私たちまで置いて行くなんて」

歓声と誇らしげな顔の喧騒から目を離さぬまま。彼らの手には二つの器が抱えられているはずです。そこにはブドウが山のように盛られていなければならず、一つは父に、もう一つはカエサル様に贈るつもりでした。それは私が今朝早起きして、自分自身で取ってきたものなのですから。きっと喜んでくれるにちがいありません。

――父の葬儀のこと

何十人もの部下を従えた、カエサル様が目の前に立っている。

自ら剣を私のベルトに手挟んでくださり、頭を撫でてくださりながら歌った。

ローマは行く 蛮族 ・邪神を蹴散らして

われらは行く ガリアの深き森の奥

馬に乗り 河を越え マースは我らを守り給う

目指すはケルン 反逆者どもを撃ち殺せ

遺体のない葬儀に響く父の追悼歌。唯一、父がいたことを証明してくれるのは、この腰の剣と涙を流してくれる、かつての父の部下たち。母の冷たい体もその隣に横たわっているから、父はきっと寂しくないに違いない。

「あの蛮族どもは、二人の大切なローマ市民の命を奪ったのだ!」

「蛮族どもに死を!!」

「ローマ万歳!!!」

「ナルキレイテス様の仇を晴らそう!!」

――カエサル様に育てていただいたときのこと

「オクタウィアヌスさん、私に学問は難しすぎます」

「何を言う。まだまだこれからではないか」

「私には剣があります」

「剣だけでは、かつてケルンで戦死した父君の仇は晴らせんぞ」

後ろでカエサル様が微笑んでいる。

「要は知恵だ。策略もなければ戦争には勝てないんだよ」

――出征前にオクタウィアヌスと話したときのこと

「元老院の議員に選ばれたんだそうですね、おめでとうございます」

「君こそ、剣術、師匠に「教えるべきことは、もう何もない」って言われたそうじゃないか。剣闘士たちの間でも評判だぜ ・ ・ ・羨ましいよ」

二人で笑う。

「で、ディニアケス。件の話、どうするつもりなんだ?」

「行きます。父の仇を少し晴らせますから」

「しかし、それにしても危険だ ・ ・ ・私の軍に編入してもいいんだぞ?」

「大丈夫です。それに議会で決まったことを無理に枉げるのは出来ません」

「君がガルゥだとは言っても…」

気がつくと、すでに朝になっていた。最後の見張り番であったアルファはもとより、ギズルフもすでにおきて、朝の運動をしていた。彼には目礼だけをして、ギズルフの横に並んで腰の剣を抜き、素振りをしつつ尋ねた。

「父は今ごろ、どの辺りだろうね」

「どしたんだァ、急にィ?」

「少々気になってね、ッ!」

「セーヌぁ越えた辺りでねぇか、ァッと」

私が手を止めると、彼は私の肩を軽く叩いて言った。

「そうか……」

「そったらこと、心配いらね。だがよ、護衛をつけたさァ。ガルゥのオヤジは大切にしなきゃあいかんからなァ」

「ああ、そうだな」

彼は、ハハハハハとさも愉快そうに笑った。私は剣を鞘にしまい、ディアポラスにハープを取り出すように命じて、丸太の上に腰掛けた。

今だに父は人質なのではないかという不安が、胸の中から離れなかった。それは、父の護衛というのが彼らのキンフォークであるということによる。もしも私がガリアの人々と争うことがあれば、ただちに伝令を出して殺させる手はずなのではないか、と。そうでなくとも、優秀な将軍だった父だ。そのまま大人しく帰してしまえば、再び後日のガリアの災いに繋がらないとも限らないのだから。

しかし、私は彼らを今は信じ、そしてこの仕事を成し遂げて、ローマに帰還しなければならない。オクタウィアヌスからの手紙では、かの女王が不穏な動きをしているということだったから。名前をいただいたカエサル様(御自身はわが家の財産を大分食いつぶした)の養子であり、そして面倒を見ていただいたという二重の恩がある以上、その不穏には体を張って立ち向かわねばならない。それがディニアケスの核、すなわち存在の本質であるところの、ゼニカタデスそのものに他ならないからだ。

だから、それまでは私は、「ガルゥ」であることを、余儀なくされる。ウォーダー・オブ・メンであるがゆえの、人であることとガルゥであることの衝突というこの苦悩は、おそらく部族が続く限り果てしなくわれわれを苛むに違いない。

ローマは行く 蛮族・邪神を蹴散らして

われらは行く ガリアの深き森の奥

馬に乗り 河を越え マースは我らを守り給う

目指すはケルン 反逆者どもを撃ち殺せ

いつか自由に、この歌を歌える日が来るのだろうか。

手にしたハープでその曲のみを奏でると、朝の肌寒い空気を叩き割るように、遠くでローマの砦からだろうか、それに呼応するように太鼓の音が聞こえてきた。

―A.C.2003、秋 イタリア共和国

「流石に寒いねぇ……」

「そりゃそうだ、銭方さん」

「君の方がよっぽど寒そうだがね」

「ヨハン、プロレスラー。萌える心があるから、いつでも熱い」

「ハイ、ハイ。了解。頼むからその「さくらたん人形」取り出すのは止めてくれ。」

ヨハンは少し悲しげに人形をしまった。少なくとも、旅行客の持っているものとしては、決してふさわしいとは言えないな。

ローマの市内は昨今のテロ事件を警戒してか、少しは警備が厳重になっていたが、それでも警備の専門家である私からすれば、まだまだ甘い。とはいえ、こんな不審者がいれば、まず間違いなく連行されて厄介なことになるだろう。ヨハンは少し認識が甘い。第一、彼がレッドタロンであることが疑わしい。聞いた話によると、秋葉原かビッグサイトを根拠に新しい部族とケルンを打ち立てようという動きが、グラスウォーカー族を中心にあるそうだ。まぁ、たしかに「聖地」には違いないが……で、名前は「オタク族」とか付けるんだそうな。その謀議の中心なんじゃないだろうか、ヨハンは。別の筋によると、随分前にすでに出来ているとか……

苦笑しながらウィンドウを閉める。

テヴェレ川の傍のこの古都は、かつてウォーダー・オブ・メンと呼ばれた、グラスウォーカーの先祖たちが栄えたとされる場所だそうだ。かつての祖先は、いったいどのようにして暮らしていたのだろうか。

ふと、そんな考えが私の頭に浮かび上がった。

私のように、人間としての義務と人狼としての義務の狭間に押し込まれ、前者を拒否すれば自分の人生を否定することになり、後者を拒否すれば狩られる対象にもなりかねない。そして事実、ついこの間まで私は狩られるスレスレのところを漂っていた。タラが死に、そして分かり合えたと思った友人のキースを返り討ちにし、そしてあのパックが必死になって駆けずり回ってくれたお陰で(後で聞いたところによると、それで名声を得たかった、のだそうな)、私は平穏な生活を送ることができるようになった。しかし、それらはすべて人間であろうとした自分を、削って、削って、他人を傷つけて、殺して、そうやって手に入れた「生」なのだ。

「私の祖先たちは…どうしていたのだろうな…そういう場合は」

「?」

運転席のヨハンが、視線を少しだけこちらに向ける。

「あ、気にせんでくれ。独り言だよ」

もしかしたら、そうした悩みは、ずっと抱え続けられてきたものなのかもしれない。そして、そうした悩みが深刻なものは、きっと私のようにひどい苦労をしたのかもしれない。なぜだか心が温かく、そして自分の「部族」に少しの親近感を覚えた。

そうしていうるうちに、コロセウムが見えてくる。

ローマは行く 蛮族・邪神を蹴散らして

われらは行く ガリアの深き森の奥

馬に乗り 河を越え マースは我らを守り給う

目指すはケルン 反逆者どもを撃ち殺せ

「ロボット? 魔法少女??」

「頼むから、ハァハァしながら言うな」

「ヨハン、気になる」

「ラテン語のな、ローマの軍歌だよ。昨日行った図書館で見つけたんだ」

ヨハンは、すこし意外そうに、

「……なぜ歌う?」

「なぜ? ……いいんだよ、私は自由なんだ。自由だから歌うんだよ」

見当はずれな答えをしつつ、煙草に火をつける。そう。自由な私にはまだ十分に考える時間があるのだ。それに、私は人狼の中で、最も進化して人間社会と融合できる道を探すパイオニアなのだから。

流れ行く外の風景を見ながら、漠然とそんなことを思った。

車は目的地、ローマ市警本部に到着した。車から降りると、少し小柄な黒髪の中年が、立っていた。彼の周りには数人のボディーガードらしき男が立っていて、階級章から察するに、彼が本部長なのだろう。彼は近寄って、片言の日本語で、こう、言った。

「アナタ、ワ、ゼニカタデス?」

私は、黙って頷いた。

肌寒い空気を叩き割るように、遠くで、大道芸人たちだろうか、それに呼応するかのように太鼓の音が聞こえてきた。

――歴史は出会い、繋がり、そして進化してゆく

to be continued...